イタリア地震
仏紙風刺画に反発「恥を知れ」
毎日新聞2016年9月3日 20時00分
http://mainichi.jp/articles/20160904/k00/00m/030/045000c
ルリーエブドが8月31日号でイタリア中部地震の死傷者をパスタにたとえた風刺画を掲載し、イタリアで「恥を知れ」と反発を呼んでいる。地震で壊滅的な被害を受け、230人以上の死者を出したイタリア中部の被災地アマトリーチェは名物パスタ・アマトリチャーナで有名。 「イタリア風地震」と題した風刺画は、血染めの包帯を巻いた負傷者に「トマトソースのペンネ」、顔面をやけどした被災者に「ペンネのグラタン」、がれきに重なり合って埋まった犠牲者に「ラザニア」との説明書きを付けている。
(ジュゲの視点)
風刺とは本来どういうものだろう?定義はそれぞれ微妙に異なるものだろうが、私としては権力や巨大なシステムに対するアンチテーゼだと思っている。その視点からすると明らかに異常に思えた。そもそも風刺する必要がない。なぜなら彼らは自然災害で被害を受け、生命財産を脅かされた、心痛むべき存在であるからだ。仏紙は反論を表明し、単なる嫌味や弱い者イジメでないことを論じたが、それでも釈然としない。というのも、であればどうしてそれまで風刺しなかったのか?何故、全てが一段落落ち着き、市民が平和を噛み締められるようになってからではなく、真っ只中の今なのか?
フレッシュだからだろう。世間が注目するから。これは取りも直さず姿勢に問題があるように思える。この会社が襲撃を受けた際に、どうしてアンタッチャブルに触れたのか理由はなるほど思えなくもないものだった。でも私はどこか半信半疑だった。今回の一件で明らかになった気がする。この会社は風刺を書く会社であり常に風刺を書く必要がある。もうこの時点で本来の風刺の意味を失っている気がする。風刺というのは本来本道があった上での寄り道、表現の一端に過ぎないと私は考える。
先だって江戸東京博物館の大妖怪展を拝見したのだが、浮世絵士であったり日本画、山水画、書家が、何か余興や手が詰まって筆を走らせた結果から独自の発展を遂げたに思えた。とくにそれが顕著であったのが山水画だ。右端は丁寧に描かれているのだが、左へ行くほどに大ぶりになり終いには妖怪の隠し絵になっていく。実際はわからないが、作者の声が聞こえそうだった。「ど~も違う感じがするな~・・・あ~も~・・・あれ?ふふ、なんか面白くなってきた。これをこうして・・・ハハハハ。ま~これはこれでアリだな」みたいな感じだった。彼らにしても本道があってこその余技。風刺も同じに思える。どうも上手く描けずムシャクシャして風刺しているうちに、「あ~言い得て妙だな~、これはこれでアリ」というものに思う。風刺の為の風刺ではなかったように思える。
この会社は風刺専門だ。この時点で踏み外している。その上で慈善事業ではないわけだから風刺になる素材、もっと言えば売れる風刺素材を探す必要が出る。その末路に思う。もうこれは風刺ではない。世界に数多ある道筋なき団体、腐肉に群がる亡者達と同じ部類にすら思えてしまう。(そんなことは無いのだろうと思いたいが) ということは先の風刺もやはりと言うべきだろう。つまり彼らは自己を客観視することもなく単に叩いているに過ぎない。省みることもなく自らの欲を満たす為に相手に食いかかる。何もせず、何も出来ず、ただ叩く。これじゃ同じじゃないか。やるこやって、少し思うことを語る。そういう表現であって欲しい。