ゲーム論:ゲームと年齢

「歳を取るとゲームを始めるのが憂鬱になる」に共感多数 マップを暗記してエイムを鍛えるのがしんどい

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1997360.html

■ 死んで覚える系のゲームがつらくなる?

先日、5ちゃんねるに面白いスレッドが立っていた。「歳取るとゲーム始めるの憂鬱になるよね」というものだ。スレ主はその原因として「FPSはマップを覚えて決め撃ち覚えてボム覚えてっていう、勉強が控えてると思うとダルいし、MMOは最近3Dばかりで難しそう」と尻込みしている。

分かる。よく分かる。成人して10年も20年もして青年から中年に変身する頃には、ゲームに限らずいろんなジャンルにおいて、吸収する能力も速度も低下する。死んで覚える系のゲームや、敵を自力で狙うエイム力必須のゲームをやるのもしんどくなってしまうよね。

(私見)

老化要因

無理もないw FPSやTPS系への自らの劣化は驚くほど。自分が動体視力的にも反応速度的にも肉体的にも対応出来ず「感覚衝突」が起きていることを良く感じます。ですが、それが理由でゲームがつまらいと感じるようでしたら、その方はプライドが高いというか保守的というか、柔軟性が無いというか、そういう感じなんでしょうね。私の場合は、それは仕方ないとして遊んでます。歳は取るもんですから。逆に「すご~い、こんな程度のことが出来なくなってる~」みたいな発見に対する喜びというか。それはそれで楽しんでます。

積みゲーの罪悪感?

なんとなくわかります。最も私は「こんなに積んであるからいつかやれるのが楽しみ!」って感じで((o(´∀`)o))ワクワクが募る感じです。楽しみを後回しにしているので。「ゲームするか!」って時にどこから手をつけようと考えるともうニヤニヤしちゃう。名作を積んでしまうことに申し訳ない気持ちは理解出来ます。遊んでこそのゲームなので。ただ、積み本と同じで、積ん読って言うぐらいで、積みゲーも積みプレーってあると思うんですよね。積んでるだけで楽しいみたいな。そして積んでいるうちに上位型が出てて「そっちにしよう」という感じ。それで良いような気がしますね。義務じゃありませんから。

残り時間の優先度

私が「歳を取るとゲームを始めるのが憂鬱になる」のは、ブログを暫くやって感じました。(笑) 当時は仕事が忙しく時間も無いので「十二分に遊びたくとも遊べない」ことがストレスでした。それと「書くことを続けたい」という欲求と仕事時代の実験を検証したいという複合的な要因でブログを始めたのですが、キッかったでしたね~。半分、仕事と思ってやってましたので。(笑) でも、その甲斐あって「自分がは書くことが一番好きなんだ、特に小説を書きたいんだ」と気づかせてくれました。

他にも優先順位の変化です。体力低下と残り時間の減少に伴い「残り時間で何をするか」というのはどうしても意識せざる終えないことになります。若い頃と違い「無尽蔵」では無い現実を肌で感じるんですね。私の場合、今の優先順位が 書くこと>ゲーム だったことにゲームをバッサリと減らし書くことに時間を割いた結果、憂鬱というのは無くなりましたね。書くためにゲームをやっていた1年半ほどが少し憂鬱になりました。逆に言えば若くて無尽蔵に体力と時間を拠出出来るなら憂鬱にならないのでしょう。また、ゲームをすることが人生での優先順位が高ければ憂鬱では無いでしょう。年をとると、肉体と脳のリソースが大幅に減少し、ある意味で目に見えるので、優先順位でもって割り当てる必要が出てくのです。

最重要:ライフワークにかける時間

重要:仕事にかける時間

重要:楽しみにかける時間

重要:学びにかける時間

無視出来る:興味本位

無視出来る:慣習

私の場合こんな感じです。下から二番目迄は無視出来る。仕事で8,9割以上のリソースを奪われるので、ライフワークにちょこっと手を出すと「楽しみかける時間」は無理矢理撚り出すしかなくなるのですが(昨今、この比率を変えようとし、ライフワークに重点をおこうとしている)、「学び」と「楽しみ」を比較した際に楽しみはほとんど残らないが学びには残るものが多いという比較から「学び」に傾くというのがあります。また、学び自体が楽しいものと両方を備えているのもあります。歳を取ると「学ぶ」のが面白くなるんですね。何れせによゲームは「楽しみ」なので憂鬱になるぐらいならやるこたーないんです。当たり前ですが。(笑)