アニメ業界:日本民族の性質がなせる構造的欠陥

10月期放送アニメが「放送延期続出」の異常事態。背景に制作現場の過酷な環境

http://hbol.jp/114251

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 今年10月期放送のアニメで異変が起きている。10月8日からテレビ放送を開始していた『Occultic;Nine-オカルティック・ナイン-』は21日、すでに放送していた1、2話分のAbemaTVやGYAOなどへの動画配信サービスを停止(※現在は配信再開)。また、『ろんぐらいだぁす!』、『第502統合戦闘航空団ブレイブウィッチーズ』といった他のアニメ番組も「制作スケジュールの遅れ」などを理由に放送延期が相次いで発表された。

 (ジュゲの視点)

 オカルティック・ナインは第一話を見て面白そうだなぁと思っていたところでした。まさか配信停止になっていたとは、だから2話がこつ然と消えたりしたんですね。後に再開されております。この業界は致命的な問題を抱えたまま走り続ける日本企業の代表格みたいに思います。問題というのは走りながら解消していかない限り最後は崩壊しかないのが明らかですが、日本はこうした問題への取り組みが非常に後ろ向き。一旦、レールに乗るとレミングスになるのがオンライン・ゲームでプレイしていても伺えます。この先は崖と解っていても行っちゃう。これは戦争一色になった過去とまるっきり同じで、ある特定の枠組みが完全に起動に乗ってしまうとそこから外れられなくなる民族的特性があります。西洋はその辺りの反作用があるのに日本は極めて希薄。これが島国故、平和故なんでしょう。寧ろ平和を維持するための知恵とも言い変えれられそうです。これが日本は最先端の経済大国になったのに思想や行動規範が中世から変わっていないと言われてしまう要因に思います。

 スタジオ・ジブリの宮﨑駿さんも、手塚治虫がこの悪しき習慣を生み出したから大嫌いなんだと言っていたように思います。レールが敷かれてしまったわけですね。下手なアルバイトより実入りが少なく、それでいて高度な技術を要求する。アニメが大成功しようがすまいが携わった関係者にバックが無いと思われる等、非常に問題だと思います。これは現在の1%の支配層が利益を全てを吸い上げる世界構造そのものと同じで、下はただただ忙しく命と才能をすり潰していくという負の連鎖があるように思います。本数の異常性に加え、見る側の許容範囲内が狭くなったせいで作画レベルを要求する。にも関わらず暮らしも楽にならず、暇も得られず。(得てしてこうしたヘビーな業界では、余程の才能がない限り、一旦断ると無茶を飲んでくれる人にしか仕事がいかなくなりがち)

 依頼者側の意識改革も必要でしょう。○HKでナディアを放送していた頃の某監督が後にインタビューで、アニメを馬鹿にするにもほどある。本当に頭にきたと処遇の不遇を述べていました。アニメ=劣っている、使ってやるから作れオラ、この糞ビッチが、みたいな(例えですよ)依頼者側の不遜な意識も事態の悪化に拍車をかけていると思われます。逆にスタジオによっては自ら改善する努力をしているところもあるようで、そうしたスタジオはクオリティーの高い作品を排出しつつ、ある程度の雇用も産んでいるように思います。日本人というのは戦争の例をとっても、構造を改革するぐらいなら自滅しようとマジで言ってしまう、本気で信じ込んでしまう民族性を持ってます。身近にもおりますが、無駄なんですよね完全に自己洗脳に陥っておりますので、自分の都合のいい声しか届かない。それを解っている者が、「NO」と言う構え、選択肢があるということを示していくしか無いんでしょう。