日本社会:電通の労働問題に見られる竹槍思想から脱却出来ない日本の経済界

ここ暫く日本人の過労問題が世界的に取り上げられているようです。

西洋では時間対効果が重視されるため、過労=無能と考えられる傾向があり

日本の一部に見られる過労を美徳とする精神性は世界的には特異な印象を受けます。

【これは酷い】電通「過労対策で夜10時に消灯させます」⇒朝5時から仕事開始へ!早朝に光る本社ビル

http://saigaijyouhou.com/blog-entry-13925.html

22時の消灯は確認されましたが、今度は早朝の5時から本社ビルが点灯している様子が報告されました。深夜勤務は禁止となりましたが、その分の労働を早朝に変更しただけで、実質的には労働時間が減っていない可能性がありそうです。

厚労省 電通を強制捜査 複数社員に違法な長時間労働か
11月7日 11時31分

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161107/k10010758191000.html

厚生労働省によりますと、電通は、本社や関西支社など3つの支社の複数の社員に対し、労働組合と取り決めた協定の上限を超えた違法な長時間の残業をさせていたとして、労働基準法違反の疑いが持たれています。
厚生労働省は、電通の新入社員だった高橋まつりさん(当時24)が去年12月、過労のため自殺し、労災が認められたことを受けて先月から電通を調査してきました。この調査で、本社ビルのゲートを通る際などに記録される出退勤の時間を基に勤務の実態を調べたところ、複数の社員の残業時間が労働組合との協定の上限を大きく上回っていた疑いが強まったということです。

(ジュゲの視点)

日本企業に巣食うロマンチストさ

これは当然電通だけの問題ではなく、朝日新聞では上司が勝手に残業時間を100時間以内に書き換えている等の行為が常習化されていたニュースからも伺えます。もっと言えば日本企業の津々浦々までこうしたメンタルが未だに引き継がれていることは言うまでもありません。これは戦時中の竹槍思想を未だに引き継がれていることが伺えます。実際、私の嘗ての上司もダイレクトにこう表現しました。「竹槍でも戦うんだ!!」当然ながら我々は(負け確定かよ)と思っておりました。つまりこれは負けの肯定化であり、「負けが前提」です。勝つための「竹槍」ではなく、「カッコよく負ける為の竹槍」を意味し、それが「努力、根性、精神論」に裏付けされ、やる気が既にない労働者を更にテンションを下げさせる発言であり、言い換えれば「自己陶酔」と考えます。ロマンチストなのです。

自己批判不能

この考え方は強力なカリスマ性をもった個人や企業や団体では非常に効果的なマインド・コントロールと思われます。ところが、魔法が解けている人や、そもそも魔法にかかっていないモノ、外側からすれば陳腐以外の何ものでもない。好きな人からすると何事もプラスへ評価基準がうつっており、逆の場合はマイナスへ評価比重が偏っています。これは私も幾つかの業界にいて感じたことですが、真面目に働いている側の労働者は「自分たちがやっていることは正しい」という背景が内包れており日頃は文句を言うわりに自己批判は内包されていません。普段から大して働いていない人間はその逆になり、どちらも自己批判が出来合に点では全く同じ。にも関わらず互いに牽制しあって、一歩は愚か、半歩も進まない時点に陥っているように感じました。

思考停止

そこで自己批判的発言をすると、双方の陣営から袋叩きにあう。当然ながら改革がなされることなく、本当の意味で働く人間は辞めていき、ロマンチスト側が常に主権を握る=精神論 になるように感じられます。労働環境をよくしようとか、細かい手順を省いて肝心な部分に注力しようといったことには向きは無く(疲れすぎて思考停止しているので考えられない)、ただただ体力が尽きるまで働き、しまいには気力が尽き、最後には・・・。こうした悪しき循環から抜ける為には、真面目に働いて、提案もし、その上で自己批判を内包した上で、尚且つ 「この会社う○こだな!」 と思ったら辞めるしかありません。政治家にとってなんだかんだいって怖いのは 票が入らない ことと同じで、会社にとっては 辞職 されることに思います。ゲームで言えば 課金しない これが最大であり唯一のジョーカーに思います。私も普通に残業時間175時間を数年ほどこなし、(当然ながら残業代なんて無い) 100時間以上の残業なんて常駐で丁度10年ほどやりましたが、はっきり言って バカバカしい です。実際の売上に直結する行動、未来に売上につながる行動に関与出来る時間が全体の2割~3程度でしかなく、その他は全て細かいことであり、言ってしまえば「無くても支障がない」仕事と思えます。ところがそれを仕事だと思う人から嵐のように要求がある。その結果、どんどん売上につながる行動が疎外されていく、内部の者に。

AIへの希望

書類処理やデータ整理といった分野は今や恐ろしいほどに人間の労働を食いつぶしていると考えられます。今後そうした作業はAIがやってくれる時代が来るでしょう。そしていよいよ優れたるものが仕上がった際に初めて人間は 人間にしか出来ない仕事 に集中出来るような気がします。裏を返すと、そうしう仕事しかしていなかった労働者はきられる時代が来るのでしょうが。人にしか出来ないことは未だ多く、寧ろ疎かにされていたように思いますので、今後は寧ろ人間復興の要素はあるに思いますね。それまで日本のこうした悪循環は終わらないでしょう。ガシャゲームに見られるように、結局そうした企業を支えているのはユーザーなのですから。反省するわけがなく、愛と憎しみが表裏一体であるように、互いに非難しあいながらより泥沼にハマル傾向は終わらないでしょう。

仕事の細分化と多様性に、そこに加え無限に広がるルール

こうしたニュースがあると様々な学者やお偉方が何やら息巻いたことを言います。「その程度で軟弱な」という文言で、24時間働いて当然のようなことを言いますが、彼らはまるで勘違いしている。彼らの多くは現代の労働状況と過去の状況を単純に比較しており、現代が何故ここまで疲弊するに至ったか差分をまるっきり考慮に入れていない。今の医者もそうです。まず、仕事の細分化と多様化です。そこに連動して守らなければいけない約束事の無限増殖。加えて津々浦々に至るまで守らせようとする現代社会の意識構造。コンビニを見てもお分かりでしょうが、一体全体、一人でどんだけの仕事を把握せなあかんねんといほどの商品数の多さです。決済方法が増えコンビニ店員の初心者は切手を買う場合にICで決済出来ないことを知りません。というか、そもそも覚えることが多すぎるのです。人は約束事が多いほど疲弊しますので、実際誰でも出来る仕事に見えてそれらを全て把握するのは脳のリソースを食いつぶしている。今後これらはAIがやることになるでしょう。嘗ては単純でした。バーコードを照らして決済すればいいだけでしたのが今やこの多様性です。彼らはその大変さを経験したことがありません。恐らく何度も利用しているにも関わらずです。

肉体の変化

更に拍車をかけるのが肉体の多様性です。嘗ては概ねある一定のゾーンに入っている体力の人が多かったと思われますが、今ではそのゾーンの幅が広がっているように思います。身近な例で言うとアレルギーです。ピーナッツを食べたらショック症状を受けるほどのダメージを受けたり、それが乳製品だったり、小麦だったり。しかもその症状そのものが非常に幅があり、命を失う危険性のあるものから軽いアレルギー症状が出るまであります。そして近年増加傾向にある自己免疫疾患。私なんかアレルギーに加えコレなんですが、最近の研究で夏風邪にみられるウィルス性風邪が治る過程で発生することが判明してきました。つまり、本来持っている免疫疾患以外に、誰しもが起こりうるのが自己免疫疾患です。これはなった人にしかわからないので省略しますが、対処法は無いに等しい病で、「心身ともに安静にする」しか根本的にありません。何せ原因究明すらロクにされていない疾病(?)と言えます。これは近年増加傾向にありますが認知すらロクにされていないのが現状です。コイツに一旦かかるとどの部位であれ非道い倦怠感に常に見舞われます。そんな肉体を抱えて、細分化、多様化、長時間化した労働を嘗てと同じようにこなすことなんてバットマンやスーパーマンですら不可能でしょう。

働き方や価値観を根本的に変えていく時期が既に来ていると私なんか考えます。