支配構造:ネットを使った世論誘導と企業

苦情殺到!桃太郎(全国キャンペーン)

https://www.ad-c.or.jp/campaign/self_all/self_all_01.html

個人のSNSから企業の広告、サービス内容等に至るまで度々炎上することが社会問題となっている日本。悪意ある内容で当事者や家族の心を傷つけるトラブルも多く、ネットモラルの問題は年々深刻さを増しています。この作品では、昔話の桃太郎を題材に、クレーム社会の惨状や虚しさをユーモラスに描き、おおらかな心の大切さを訴えます。ナレーションの美輪明宏さんの問いかけに、ドキリとされる方も多いのではないでしょうか。

【これは酷い】内閣調査室、マスコミに世論誘導用の資料を配布していた!ネトウヨの画像と全く同じ!

http://saigaijyouhou.com/blog-entry-17523.html

週刊新潮の最新号が内閣調査室によって配布された世論誘導用の資料を公開しました。この資料は先月に官邸系ジャーナリスト・山口敬之氏に暴行を受けたと告発した詩織さんに関する情報で、内閣調査室は詩織さんの弁護士が山尾志桜里夫妻と仲が良いことで民進党の党利党略で告発を仕組んだかのような印象操作をしていたと報じられています。

小林麻央さん死去:なりすまし投稿…ツイッター社対応は

http://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E9%BA%BB%E5%A4%AE%E3%81%95%E3%82%93%E6%AD%BB%E5%8E%BB%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%99%E3%81%BE%E3%81%97%E6%8A%95%E7%A8%BF%E2%80%A6%E3%83%84%E3%82%A4%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BC%E7%A4%BE%E5%AF%BE%E5%BF%9C%E3%81%AF/ar-BBDnGvX?ocid=iehp#page=2

ツイッター社の日本法人は取材に「なりすましは禁止しているが、同姓同名の可能性もある。パロディー目的のアカウント作成も認めている」と説明する。同社の規定では、パロディーの場合はその旨を明記し、誤解を招かないようにしていれば削除されない。

問題の偽アカウントは弁護士事務所の開設日や所在地を載せ、パロディーの記載はなし。唐沢さんは「ツイッター社はほとんど審査していないのではないか」と見ており、同社の責任も追及する構えだ。偽計業務妨害容疑などでの刑事告訴も視野に、なりすまし人物特定の手続きを進めている。それでも「過去の例から考えて道のりは長い。当たり前の話だが、だまされる前に情報の出所と内容を精査してほしい」と話す。

(ジュゲの感想)

ACジャパン辺りは言わんとすることはわかるのですが、そもそもああいう安易な誹謗中傷をする人は全体からすると少数であり、同時にそういうことをする人は言われたところで燃えることはあっても「そうか・・・俺はなんてことを・・・」なんて思うはずもありません。寧ろ、心理学的に紐解くと「嫌がられている=反応がある=ご褒美」ということであり、却って執着化の後押しをしていることにもならないでしょうか?その一方で、守っている人も不快感を与え、特に問題なく使っているにもかかわらず萎縮させ、逆に一般の利用者を減らし、環境を更に悪化させる要因になるように思います。実際の経験としても、ネトゲでもそういうスパイラルに入ると劇的にプレイ環境は悪化し、最終的には閉鎖へまっしぐらのように思います。

保守系のサイトに限らず自らの価値観を現実に照らし合わせることなく固着化させている人はまず「自分が正しいことをどう理屈づけるか」というスタートラインなので議論にならないと考えます。議論するには自分のスタンス、価値観で出した自らの視点と、相手のスタンス、価値観で出した視点を双方向かい合わせることで、より良い、優れた判断を下す為に行うものが議論に思えます。ところが巷で溢れているのは「俺の価値観を飲め」というものです。これは議論ではく暴力と同じように思います。マーケティングをやると実感するところですが、客観的事実を多角的に集めても最終的に結論を出すのは自分です。つまり、結果ありきで纏め上げるわけです。じゃないと分析になりませんので。ここで大切なのは事実の多角的集約であり、その事実を認識することです。2番めの記事のように、捏造ありきで始めることも可能なわけです。これは結論>事実の集約>歪曲的誘導 という順に行われ、全く逆になります。これでは議論にならない。ですが残念ながらよく行われる手法に思います。問題はそれを信じてしまう人がいるという点です。大切はのは 多角的事実の集積>自己の視点から分析>とりあえずの結論 とするべきを、誰かの結論を最初に読んでしまい、挙句に検証しないで信じてしまうことでしょう。

中には 事実の集積そのものが面倒な人もいると思います。現代人は誰しも忙しいですから。そこで嘗ては 新聞 があったわけです。(今もありますが) まずは嘘は書かないだろう、大丈夫だろうという信頼のもと、事実の集積をしてもらった記事を読み、視点を読み、なるほど。と、自らの情報とする。ところが、現代はその新聞そのものが嘘を書きたい放題で、挙句に嘘記事を修正せず、権力者の言いなりと言わざる終えません。そうなると横着出来ないわけです。何せ、視点が固定化されているので、宗教系の新聞と同じで、その多角的情報の集積や集約なんてありえないからです。都合の悪い情報は載せませんので。そもそも権力というのものはそういうものですが。こうなるとどうするか・・・「見ない、聞かない」の方がマシでしょう。何故なら思い込みが出来ない為に、性格な判断を下しやすくなるからです。

3番面の記事に絡んでくる部分ですが、それだと不安なら、「このサイトの視点は自分の視点に近い」とか「記事を多角的に集約しているな」と思えるサイトを自分なりに探し押さえておくことでしょう。そうすると、それ自体は自己責任が生まれるわけです。また、「きな臭くなってきたな」と思えば、読むのを止めればいいので。十中八九、右に限らず左に限らず、超大手サイトというのは金が裏で動いているので献金者による固定的視点を流布する目的というのは例外がないでしょう。そこを念頭に置く。twitter社に限らず炎上であってもカウントが増えることが利益になる企業では、動きは鈍いと思われます。某巨大外食SNSしかりで。密林にしても兼ねてより外部業者の選定全くやってないんじゃない?と思えるような業者も売買しておりました。動きも鈍くフェイクな情報を垂れ流しにしている状況も見受けられます。

これに変わる昨今の動きとしてスマホや携帯の番号と連動させることで個人を特定させる向きがありますが、これも必ずしもユーザーにメリットとばかりは言えないような気がします。何せ、個人情報全てと紐づけされてしまう。共謀罪に見られるように、権力者側は幾らでも個人を検挙出来ます。固定化した視点で個人を犯人にでっち上げるなんて簡単なわけです。そのでっち上げる情報を自ら提供することも無いわけです。私が読んだある実際の寃罪事件では、自らの潔白を晴らす為に、性的嗜好が違うから絶対やるはずないという証拠を突きつけ無罪になったケースもあるようですが、それを裁判所とは言え公衆の面前で晒される苦痛は想像するに難くありません。無罪は勝ち取っても「あ~あの人って」となります。しかも裁判員はそれを口外してはいけないわけですが、世の中口が固い人ばかりじゃないばかりか、一瞬で拡散される時代です。一般人にとってはリスクばかりが増大している。そういう時代に今我々は生きているわけです。